お店番スタッフおーた企画の第6回目です。
今回はちょっと趣向がかわって、靴について。
ふたりとも靴が大好き。なんと4週連続の公開となります。
家事と道具…ではなく、靴についてのおじさん2人の偏愛トーーク。
どうぞ、よろしくお願いいたします。(店主)
お店番おーたと主夫さいとうが交わす、趣佳とはほとんど関係のない話を不定期にお届けします。
暮らしにまつわる話が中心なので、全く関係がないわけでもない(という願いも込めて)ということで「の、むこう。」という名前にしました。
おーたの「これ、どうなんでしょう?」という大して意味もない質問に、家事好きさいとうが無駄に真剣に語ります。真剣ではありますが、趣佳のことはあまり念頭にありません。
さいとうは家事好きですが、別にカリスマでもスーパーでもないので、これを読んで人生が変わることも、運が向いてくることもないと思います。
多分。
第6回 靴と歩む その1 靴を履く
あまり信じてもらえないかもしれないですが、実は僕たち二人とも靴には割と思い入れがあって、今回は「靴と歩む」ということでさいとうさんに靴について話を聞きます。
僕自身かつて靴のリペアショップを営んでいたことがあり、二人してあーだこーだと話していたら長くなってしまったので、「靴を履く」、「靴を選ぶ」、「靴を磨く」、「靴を贈る」の4回に分けてお送りします。
さいとうさん、靴ってどうなんでしょう。
靴はあくまで道具であって、それを履いて歩むものです。靴で歩むのです。
「靴と歩む」というタイトルは靴を同伴者、同行者として認めたもので、便宜的に履き潰すということではなくて、ちゃんとした靴を選び、手入れし、育てていく、という価値観を現しています。
僕も靴の手入れに関しては割と詳しい方だと思います。
手入れについてぜひ後で詳しく教えてください。
ぼくがまずは「靴を履く」ことについて語ります。
さいとうの語り:「靴を履く」ことについて語ります。
「足元を見る」という言葉があります。通常は、「相手の弱みに付け込む」という意味で、あまり肯定的な言葉ではありません。
ぼくはでも、よく人の足元を見ます。文字通り、足元を見てしまうんです。
ちゃんとした靴を履いているのかなぁ、装いに合っているのかなぁ、手入れはされているのかなぁ、と。
別に弱みに付け込むわけじゃなくて、人を見ているのです。
靴の選択、装いとのバランス、手入れの具合、すなわち靴との付き合いといってもいいと思うのですが、そこに人柄が現れてしまいます。
高い靴の性能は評価しますが、高い靴を履いていることは、それ自体が評価の対象になることではないと思います。それは多分別の何かを象徴しているにすぎません。その象徴している何かを評価することと、その靴を履いている人の評価を混同してはいけない、ということです。
モノに自分を語らせてはいけません。
高い靴を履くことよりも、正しい靴を正しく履くことが大切だとぼくは思います。
村上春樹の『パン屋再襲撃』という短編集に『ファミリー・アフェア』という作品があります。兄(語り手)と妹がそれなりに仲良く暮らしている所に(親なしの同居生活です)、妹の婚約者が現れ、基本的に兄はこの婚約者が気に食わない、という設定です。
ぼくはこの作品に随分と多くのことを学んだ気がします。
まずいスパゲティーは残すのも見識だ、とか。
嫌味ともいいますが。
婚約者は渡辺昇といって、同じ短編集の『像の消滅』で、象と一緒に消えてしまった63歳の飼育係も同じ名前です。
渡辺昇というのは、村上春樹がよく仕事を一緒にした安西水丸の本名で、この名前には割とこだわりがあったのでしょう。
『ねじまき鳥クロニクル』では、主要人物に綿谷ノボルという名前をつけています。
脱線しました。
兄が渡辺昇の服装を評しています。
「今日はまあごく普通の人間に近い服装をしていた。(略)靴とベルトの色が合っていないだけだ。」
ぼくに言わせればそもそもホンダ500ccの単車に「房飾りのついた茶色のローファーシューズ」(タッセルのことでしょうか?)で乗ること自体が不適切です。
ローファーで単車に乗ったら、シフトアップの時に左足甲に傷がついてしまいます。
第一、転んだ時に足首は著しく傷つくでしょう。
ぼくも多分渡辺昇は好きになれなかったと思います。
でもまあそれはさておき、まあ、そういうことなんだと思います。
「靴とベルトの色が合っていないだけだ」
まずは靴とベルトの色は合わせましょう。それでようやく「普通の人間」です。
ちゃんとした靴を履くということのとても大切な構成要素の一つです。
そういえば、全身像を映す姿見を置いていない靴屋は信用できない、と言う文章をどこかで読んだ記憶があります。一つの見識だと思います。
装いの中で靴を調和させることは大切ですし、TPOもあります。
日本の住宅において靴は出かける時に最後に履くものなので、服装とチグハグになる可能性が残ります。玄関に姿見を置くことをぼくはお勧めします。
ぼくは現在4足の靴を履き続けているのですが、これからのお話全体の導入としてこれらについて語りたいと思います。
さいとうの語り:4足の靴について語ります。
ぼくは靴自体好きですし、手入れも苦にならないので、それなりの値段の割としっかりした革製の靴を手入れしながら履き続けています。
これは一つの価値観です。
「高い靴をプロにメンテナンスしてもらいながら長期間履く」と「安い靴を履き潰していく」の間で様々な価値観があると思います。「高い靴を履き潰す」のもありだし、「安い靴を自分でメンテナンスしながら長期間履く」のもありです。
靴との付き合い方は、思いがけず、自分の価値判断を現しているのかもしれません。
それでは、20年来のつきあいの2足のブーツから始めます。
2000年前後、ぼくは休日は山に登るか、単車でツーリングをしていました。
「ここではないどこか」に「何か」があると思っていたのだと思います。青い鳥はここにいる、というのも一つの見解ですが、でも、好きな場所があるなら、どんどん出かけてもいいと思います。最近はそれができないですが。
登山も単車も靴がとても重要です。
命に、あるいは身体に直接関わる分、ビジネスシューズよりもずっとずっと切実に大切な存在です。
そのブーツと出会ったのはネットで登山靴を探していた時でした。気になっていた登山靴を作っている墨田区の製靴会社がブーツも作っていて、そのブーツを見た瞬間に登山靴のことはすっかり忘れてしまいました。
とても美しい姿をしていたのです。
しばらくしてお店に行く機会を作り、実物を見てすぐに購入する決心をしました。最初に黒のブーツを買い、実際に履いてみた感触もとてもいいので惚れ込み、後日茶色も買ってしまいました。
ぼくは気に入った服などがあると、色違いで買う癖があります。
この2足は色以外、購入時期も型も同じで、ローテーションで履くのでくたびれ方も同じです。時々左右色違いで履いて楽しんでいます。
その会社は、ちょっと大きな街なら必ずあるような製靴会社、というわけではないので出会いものです。登山をしていなければ出会えなかったでしょう。
それ以来20年、今でも革は綺麗な状態です。
続いてハイカットです。
この靴屋さんの靴はパートナーが先に履いていました。松本クラフトフェアで買ったのです。ちょっところっとした愛嬌のある顔立ち(というのも変な感じですが)をしていて、その割にしっかりした作りをしています。
ぼくもその靴が気になっていて、当時住んでいた吉祥寺の馴染みのお店で受注会があったので、早速注文して9ヶ月待ちで入手しました。
7年履き続け、この春初めての修理から戻ってきました。
靴は修理のことまで考えて購入します。
文脈は多少違いますが飲食店の選択に関して、年下の人がやっているお店は、ぼくが死ぬ前にやめる可能性が低いので優先的にお付き合いするようにしています(笑、でもかなりまじめ)。
若い頃は色々と教えてもらえる年上のお店が魅力だったのですが、高齢を理由に閉店したりすることを何度か経験すると、少なくとも自分が生きている間は営業してくれそうなお店を探すようになります。
個人店という選択肢があればチェーン店は利用しないので、お店の経営者を見ます。
最後につっかけです。
出会いのきっかけはやはり吉祥寺です。
経緯を一文で説明します。
パートナーが個展でお世話になっていた吉祥寺のギャラリーがその靴屋さん(イスラエルのメーカーなので、正確には日本の総販売店)と付き合いがあり、そのギャラリーでパートナーが個展をしている時にたまたま靴屋さんのオーナーが来てくれて知り合い、ぼくたちが靴屋さんのある奈良を旅行中に訪ね、一緒に生ビールをぐびぐびぐびぐび飲み干し、その翌日にお店に伺ってパートナー共々その靴を買った、という経緯です。
二日酔いだったのかもしれません。
ちなみにその靴屋さんは服飾、雑貨も取り扱っていて、その後パートナーは2年ごとに個展をさせてもらっている、というオチまでついています。
2021年現在、新型感染症とは関係なくぼくたちは天然引きこもり生活を送っていて街場への外出は滅多になく、今ではこのつっかけが冬場でもメインの履物になっています。
というわけで、わらしべ長者のような話になってしまいました。
わらしべ長者の舞台は奈良の長谷寺で、元話は『今昔物語集』なのです。
随分昔の話ですが、人間の本質が変わるにはもっと長い時間が必要なのでしょう。
改めて振り返ってみて、選択というよりも出会いのような気がします。
出会いはふとした瞬間、です。
ふとした瞬間の出会いの場に立ち会うことができたのは、でも、自分の日々の選択の結果だという気もします。
アンテナを張っていれば欲しいモノとはやがて出会うし、一目惚れしたものは結局手に入れる、という教訓を靴との出会いからぼくは学びました。
出会えるか、出会った時に反応できるか、それが選択の本質だと思います。
靴選びを語ることが思いがけず自分を語ることになってしまいました。モノとの付き合いは結局そういうことなのかもしれないです。
あるいは、そういう付き合いをモノとはしてほしいです。
スペックとか、評判とか、あまりそういう方面からのアプローチではないのが印象的です。
そうですね。宣伝費用を履いているような靴にあまり興味はないです。
宣伝といえば、すっかり忘れていました。
趣佳でも革靴を扱っております!店主憧れのブランド「trippen(トリッペン)」です。足にやさしく、デザインもよい。お値段もしますが、こだわりをもって作られています。修理もしてもらえますし、長く履き続けるには最適ではと。
しっかり宣伝しましたね。隙を突かれました。
タイトルイラスト:小林あつ子
https://atsukokobayashi.tumblr.com/