金継ぎ昔話 その一
こんにちは 金継ぎ講師の安です。
今日は漆と金継ぎの歴史についてお話しようかなと思います。
(長くなりそうなので数回に分けます。)
ただし、最初にお断りしておきますが、「金継ぎの創始者は○○氏です。」
といったはっきりとした史実は残っておりませんので、
私がこれからお話することも一説として考えていたらければ幸いです。
金継ぎ昔話 その一
縄文時代草創期の遺構から木片が出土され、ウルシの木は
約12,600年前から日本列島に存在していることが分かっています。(鳥浜貝塚)
今の漆器のように漆を「塗る」ことや漆に顔料を混ぜて文様を描くことは
約9,000年前より始まり、漆彩土器として残っています。(垣ノ島B遺跡)
そして「継ぐ」ことは縄文時代後期よりもう始まっていたようです。
東京都下宅部遺跡から、破損した注ぎ口を漆で接着した土器が出土され、
その外にも武器の接着などにも使用した痕跡が発見されています。
(この展示を博物館で見たときは、古代人も注ぎ口は割りやすかったのかな?と親近感を得ました。)
この「継ぐ」という行為はモノが希少な時代のなかで、
生活の当たり前の行為として試行錯誤されながら
進歩していったのではないでしょうか。
『人倫訓蒙図彙』(1690元禄三年)に継物師という職業が記載されています。
風呂敷を抱えながら街を歩き回って破損した器を回収し、
漆を使って直していたようです。
ここでいう「継ぐ」は、今の金継ぎに見られる、
金や銀などを損傷部に蒔絵するようなお直しではなかったでしょう。
それではいつの時代から、今の金継ぎのような損傷部を
お洒落するようになったのでしょうか?
この続きはまた次回に。
安